診療継続不能、全職員解雇の危機を乗り越え、福島復興のシンボルとなる新病院オープンまでの歩み
(南東北新生病院は、2015年4月1日より南東北第二病院へ名称変更いたしました)

 

未曾有の震災により(旧)保科病院も甚大な被害を受け(大規模半壊)、診療が不可能な状態となってしまいました。
地震発生直後から、入院患者さんの安全確保と避難が緊急の課題となりました。
余震が続き、さらには東京電力福島原発事故が最悪のシナリオへと進んでいた極めて困難な状況ではありましたが、一人のけが人もなく無事すべての患者さんを一両日のうちに避難させることができました。

松本院長指揮の下、一丸となって140数名の患者さんを無事転院、退院できたことは、患者さんを第一に助けなければならないという一心からでした。
全職員の士気が高まり、「心が一つ」となって未曾有の事態を乗り越えることができた経験は、これからの新病院作りになくてはならない財産となりました。
あの非常時に、あたたかい手を差しのべて下さった、たくさんの皆様のおかげです。 本当にありがとうございました。
しかし・・・。
震災後、(旧)保科病院はさまざまな面から病院復旧への道を模索してまいりましたが、自力再建は困難な状況に陥っていました。

そのさなか、郡山市の医療体制を守るという視点から総合南東北病院さんの全面的な支援をいただき、仮設病院での診療再開に至ります。そして、南東北新生病院が誕生することになりました。

それから2年後の7月1日には新病院が完成、本格的に診療を開始し、2015年4月1日からは南東北第二病院へと病院名を変更いたしました。
今後とも、職員一同、努力を惜しまず精進してまいります。 これからの南東北第二病院に地域の皆様のご協力とご指導の程よろしくお願い申し上げます。

2013年7月1日の南東北新生病院オープンを前に、落成記念式典にてテープカット、完成を祝う。(6月30日)
渡邉一夫理事長、松本秀一南東北新生病院長、寺西寧総合南東北病院長、横田由美子南東北新生病院総看護師長、増子輝彦参院議員、品川萬里郡山市長、菊池辰夫郡山医師会長ほかの皆さん(南東北新生病院は、現・南東北第二病院)

 

 


第1話 地震の発生

平成23年3月11日午後2時46分。
宮城県沖でマグニチュード9.0。
初めは小さい揺れだった。「そのうちすぐにおさまるだろう。」それが突然大きな揺れに。初めて体験する揺れだった。長い時間の揺れだった。
あとからニュースで知ったが、最大震度を観測した仙台では3分間に渡り大きな揺れを4回も繰り返したらしい。
郡山の震度は6強。
いつおさまるか分からず部屋の棚を押さえていた。建物の中は壁が崩れ粉が舞っていた。何がなんだかわからずにいたが、人生で経験したことのない大きな揺れは、自分の死すら感じるほどだった。
中庭を見てみると上の壁がはがれ落ち、外に出てみると不安な表情で周りを見渡す人々、何が起きたのか分からずただその場に呆然と立ち竦む人々。信号は止まり渋滞する車。今まで見たことがない光景だった。
それまで青い空を見せていた空は一気に表情をかえ猛吹雪となり、この世の終わりかのような姿をみせた。

揺れも収まり今現実で起きた事を理解できた時、自分の周りの状況を目の当たりにし、恐怖と不安、そして絶望すら感じた。
いつもの見慣れた職場の風景は一転していた。
割れたガラス、慌ただしく走り回る職員。電気も消えた暗い室内。

それでも、絶望感に浸っている時間などなかった。患者さんを安全な場所に避難させる事、それが今一番自分達がやるべきことだった。

 

 

第2話 地震から一夜明け・・・。

いつもより早めに家を出た朝。
明らかにいつもの風景とは違う世界が広がっていた。
ガソリンスタンドに列を作り並んでいる車、壁が崩れ原型をとどめていない民家。
怖い。そんな気持ちしかなかった。

病院に着く。電気は繋がっているが、水道は依然として止まっている。「蛇口をひねれば水が出る」そんな当たり前の事が今は出来ない。
テレビを点ければ、どこのチャンネルも緊急特別番組で、地震が招いた想像を絶する被害の事実を知る。なんともいえない気持ちだった。

そして、その日の夕方に最悪な事態が現実のものとなってしまう。
「保科病院倒壊の恐れがある為、入院患者さんの全避難」
招集された職員達はそれぞれ自分のやるべきことをやった。患者さんの家族に連絡する者、患者さんのベッドを移動する者。当院にいる患者さん全員の転院、退院が始まった。

 

 

第3話 絶望と不安

震災から3日目の3月13日、この日は朝から休む暇もなく患者さんの受け入れ可能な病院への連絡、退院する患者さんの荷物の整理に追われた。
転院といっても患者さんの容態はそれぞれ違う。
自分で歩ける人、呼吸器をつけている人。救急車を手配しての転院が始まる。

その時、ふっと思った。これからどうなるのだろうか。
病院から患者さんがいなくなった時、自分の居場所はあるのだろうか。
自分にできることがこの先あるのだろうか。
不安でいっぱいだった。

その日の仕事が終わり、家に帰る。
いつも電気で明るい町並みはそこにはなく、ポツポツと家の明かりがついているだけ。
寂しい気持ちと戦いながら家に着く。唯一ほっとできる住み慣れた家。しかし、日本史上最大となった今回の地震は、そんな我が家すらいっきに現実へと引き戻すものだった。
食卓にあるのは、ピクニックで使う紙のお皿に分けられたご飯と、缶詰めの魚。
疲れた体を癒すお風呂もなく、ただ寝るだけだった。

 

 

第4話 解雇

3月15日、病院にいるのは職員のみ。
外来の入り口には患者さんの転院先が記載された紙が貼られている。
みんな、自分がいま何をすればいいのかわからずにいた。

そして、その時はきた。職員全員が呼ばれる。
「全職員の解雇」
耳を疑った。そんなことがあるはずがない。解雇の可能性もあるってことだろう。聞き間違いだ。きっとそうだ。

しかし、間違いではなく現実のものだった。
大震災は、自分たちの居場所すら奪ったのだ。
なんて言葉を発していいのか分からずにただ立っている人。泣いている人。これから先のことを話し合ってる人。

みんなそれぞれの場所に解散するが、胸に抱えている気持ちは一緒だった。

 

 

第5話 希望の光

病院が診療継続不可・・・。

まだ受け止めることができない事実・・・。

先日言い渡された「全職員の解雇」から数日、外来受診にくる患者さんの対応に追われる毎日。その際に紹介状も渡し、患者さんに診療継続不可も説明していく。

病院からすでに去った職員、就職活動をしている職員、病院に残り仕事をしている自分など、職員はバラバラな状態。
そんな日々の中、ある日、突然松本院長からまた職員全員が呼ばれる。先日言い渡された「全職員の解雇」が頭をよぎる。その場にいる誰もが予想ができない。
そんな中、松本院長が口を開く。内容は「総合南東北病院さんの心温まるご厚意により仮設での診療再開」。
自分達にとって、まさに希望の話だ。

この日を境に準備をする職員や病院に戻ってくる職員など病院内に活気が戻ってくる。

新しい病院の名前は医療法人社団 新生会 南東北新生病院。

また、新しい院是は「すべては患者さんのために」。

自分達は光に進んで行くことができた。